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保護者体験記


石井健太君のお母様
2001年1月〜2004年11月

不安だった長男の留学  

 我が家の長男健太がNZへ留学して、早5年が経ちました。

 結城さんには、中学高校の4年間(Year10〜Year13)、ガーディアンとして大変お世話になりました。 カンタベリー大学に
健太君とホストファミリー
通っている今でさえ、時々お邪魔してはお泊まり、釣り等に連れて行って頂いているようです。もちろん現在は結城さんの御好意に甘えさせて頂いているのですが…。
 結城さんだけでなく奥様も息子さんもとても良い方たちです。なぜそんなことが分かるかって? 実は1993年、健太の留学先を見て見たいと家族でクライストチャーチに行き、ホームステイ先に泊めて頂きながらほぼ毎日のように結城さんのお宅を訪ねていました。とても居心地の良い御家庭でした。だから健太も我が家のような顔をして、度々お邪魔させて頂いているのでしょう。

 現在は結城さんを全面的に信用し信頼しているのですが、健太を留学させた5年前は、全く見知らぬ他人様に大事な長男を任せることに大きな不安がありました。

 健太が留学しようと決めたのは、中学3年(2000年)の9月。
 その年の4月に家族でNZに旅行した際知り合った曽我さんと言う方に、「もしお子さんが留学されるなら、日本で頼むよりこちらの業者に頼んだ方が安くできますよ。もしそんな気になったら連絡して下さいね」と言われたのですが、まさか本当に健太が行く気になるとは夢にも思いませんでした。

 健太が行きたいと言い出した時、私なりに各国の留学事情を調べてみました。そして、NZが一番安全で費用も安くて済むことが分かり、曽我さんに連絡してみました。私は曽我さんが留学の仕事もやっておられると思い込んでいましたので、曽我さんなら安心して健太を任せられると思っていたのです。ところが、実際は曽我さんは旅行を扱うだけで留学の方は知り合いを紹介して下さるということになり、「え〜!話が違う」って事で留学をとりやめようかとまで思いました。ここで留学をとりやめていたら結城さんを知ることはなかったのですが、健太はもうその気になっていましたので、「え〜い!あの人の良い曽我さんの知り合いなら、きっと良い人に違いない!」と思い込むことにし、曽我さんから結城さんに連絡を取って頂きました。

  結城さんから連絡があり、何度か電話とメールでやり取りをして学校が決まったのは12月に入ってから、中学校の三者
健太君(左)と他の留学生
面談の前日のことでした。紹介して頂いたのはクライストチャーチ郊外にある、Lincoln High Schoolという学校です。本来なら中学3年をほぼ終了した健太はニュージーランドのYear11に入るところなのですが、『たとえ語学力に自信があったとしても、英語で授業を受けるのはとても難しいことです。大学入学資格を確実に得るためにも、学年を一つ落とすことをお勧めします』という結城さんのアドバイスを受け、もう一度中学3年生(Year10)をやることにしました(語学学校に通わなかった健太としては、この1年落としたことが語学を習得するための期間となり、その後の勉強にも良い結果を与えました)。

 学校が決まった翌朝、健太の通う中学へ連絡し、成績等の書類を書いて頂きました。数日後にはNZの学校が休みに入ってしまい手続きが出来なくなると言われ、中学の先生にも無理を言って大急ぎで書類を作成して頂き、郵送では手続きが間に合わないためFaxで結城さんに書類を送りました。

 こんな調子で、慌ただしく健太の留学が決まりました。

 冬休みになって、健太に持たせるパソコンやその他必要な物を購入し、いよいよ1月15日、健太の出発の日がやってきました。 成田へは、私と娘と私の姉とで見送りに行きました。健太はゲートへ入って行く時、「オレ、受験から逃げたンじゃないよね」と一言、私はおもわず、「これから(留学)の方が受験よりつらいよ。決して逃げたわけじゃないよ」と笑って言ってやりました。しかし、健太をゲートで見送った後、トイレに籠って暫く泣いたのですが…。今でこそ泣くことはありませんが、初めの2〜3年は成田に見送りに行く度に目頭が熱くなっていました。

逞しく成長した自慢の息子

 健太の中学校の成績は上の中ぐらい、日本の高校でも良い学校に入れたと思います。ただ、将来英語を使う仕事につきたいと考えていた健太は、「勉強嫌いの自分が英語を流暢に話せるようになるには現地に身を置かなければならない」、そ
健太君(中央)と他の留学生
して「社会に出る前に日本とは違う世界を見てみたい」とも思っていたようです。また、どちらかと言うと過保護な母親である私から少し距離をおき、精神的に自立したいとも考えていたのでしょう。
 私としては、目に入れても痛くない、かわいくてかわいくて仕方のない長男を留学させることにもちろん不安はありましたが、このまま長男を過保護に育てればたいした人間にはなれないかも…とも思っていましたし、夫も私も本人が望むことを叶えてやるのが親の勤めと考えていましたので、快く送りだすことにしました。それに、もうひとつ…。普段健太の陰に隠れて目立たない次男坊も、長男がいなくなれば私や妹が頼りにするのでしっかりしてくるかな、という思惑もありました。事実、次男坊もその後随分しっかりしてきましたよ。

 その年の3月、日本の中学の卒業式に2ヶ月振りに健太が帰って来ました。成田に迎えに行った時、私ははじめ、健太に気が付きませんでした。それほど健太は変わっていました。なんと逞しく、男らしくなっていたことか…。あの子どもっぽかった健太が大人の男に見えました。それほど、苦労をしたのでしょう。言葉も違う、生活習慣も全く違う、時々連絡してくれる結城さんだって、知らない人なのですから。
 「初めの頃は帰りたいなあって、思ったよ。でも、帰りたいと言えば負けたことになるから…。言葉はまだ分からないことがあるけど、大分通じるようになったし、日本人の友だちもいるし、キウィの友だちもできたし、ホストファミリーも良い人たちだし、結城さんの家にも時々お邪魔しているし…」。良いことばっかり言う陰にはきっと大変なこともいっぱいあったのだろうなあって、考えなくても良いことばかり考えては陰でこっそり泣いたりしたこともあります。

 あれから4年が経ち、昨年の2月には第一希望だったカンタベリー大学に無事、入学することができました。NZの大学は日本とは違い受験が無く、高校の成績で入学が許可されます。 実は、健太はリンカーン大学とカンタベリー大学のいくつかの学部から入学許可をもらうことができたのですが、一番入りたかったカンタベリー大学の会計学部は不合格だったのです。そこで健太は1月末にNZに戻り、その学部にどうしても入りたいと大学の先生に交渉し、入学を許可されたのです。交渉して入学許可が出るなんて、おもしろいでしょう。そして、親バカな私としては、こんなに逞しく育った我が子が自慢だったりするわけで…。

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